ひとりごと

スピッツ

joe1.gif (7167 バイト)2005/3/31

まぁー・・・。

まぁー・・・・、良しとしましょう。

とりあえず勝ち点3取れたからね。

オウンゴールのみの1点は物足りないが、

バーレーンのカウンターは見事に封じていたしね。

得点入れてからのディフェンスがどうしても引いてしまうね。

ゼロゼロの時のように、前線からプレスをかけて、

センターライン付近で囲んでボールを取るということができなくなって、

ズルズル下がってしまうことが多かった。

 

サントスが効いていたね。

4バックの時よりもサイドは攻撃参加しやすそうだった。

しかしあれだけセットプレーがあったのに1点も入らないとは・・・。

あんなに壁に当てる俊輔を見るのは初めてだった。

そんなにバーレーンの身長は高そうに見えなかったので、

ちょっとびっくりしていました。

ジーコの首がつながりましたね。

いいことなのか?

悪いことなのか?

 

小野が今度の試合に出られるようになるのはいいが、誰に代えるのだろうか?

福西は代えられないだろう。

すでに海外組みの稲本はポジションがもうない。

小野の場所に中田ヒデが入ったんだよねー・・・・。

俊輔の司令塔、トップ下は変わらないだろうし、

サントスのポジションか・・・・。

トルシェの時はサントスが控えで小野が試合に出ていたんだよね。

すでに黄金のカルテット構想は事実上破綻しているし、

1番コンビネーションがうまくいく組み合わせで

メンバーを選んでいく時期になっているよね。

稲本、小笠原、中田浩二、藤田、控えも層が厚くなってきた。

アウェーのバーレーン戦の先発は見物だ。

 

では潜ってきますね。

 

2005/3/30

決戦の日だ。

みなさん今日の19時からは日本代表のサポーターとなって

バーレーン打倒に向けて祈ろうではありませんか。

特に誰ということはない。

ゲームに出るみんなに期待しているし、

がんばってほしい。

とにかくどんな形でもいいから、勝ち点3がほしいね。

そして北朝鮮もイランに勝ってほしい。

今日は仕事にならないね。

午後の北朝鮮、イランの試合からじっくり見るぞ。

 

さて午前中でようやくログもアップできたし、

ひとりごともこれにて終了。

なんか書くことがあったかなーと思い返してみると、

そうそう、先日英語を話すお客様が

スノーケリングセットをレンタルしにやってこられました。

通常はレンタルだけってスピッツではサービスしていないのだが、

結局レンタルしてしまった。

 

ショックだった。

 

通常外のサービスを行ったことではない。

レンタルしない、する・・・のやりとりをしている時、

英文があまりというか、ほとんど浮んでこなかったということであーる。

 

忘れている・・・・。

英語を忘れてきているぞ。

通常は一緒に潜ってくれるお客さんにしかレンタルサービスしていないんだよ

とか、全然喋れなかったなー。

英語をまた勉強しないとね。

今なら、

We don't have a service that we rent them for〜〜〜〜〜

とか、なんとか難しいこと考えていた・・・・。

簡単に、

We rent them only for diver guests.

とかシンプルに言えば良かったのか?

ふぅー・・・・。

 

モルディブの頃もそうだったが、英語が話せない時期ほど、

難しい英文を考えようとしちゃうんだよね・・・・。

で、英語で講習などをして、英語に慣れているときなどは

すごいシンプルな言い方で英文が出てくるのになー・・・。

やっぱり使っていないとどんどん忘れてくる。

4/1のお客様はスピッツの講習卒業生で、

英語を話すお客様。

久しぶりに英語が話せるので、

ご迷惑をかけながらも、いろいろ話してみたい。

では、チャオ。

しっかり応援しよう。

 

2005/3/27

ふぅー・・・・・。

 

・・・・・・・・・。

 

はぁー・・・・・・・・。

 

 

・・・・・・・・・・。

 

うーんんんんんんんんんんん・・・・。

 

あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・。

 

 

負けちゃったねー・・・。

つらいねー・・・。

切ないねー・・・。

ビデオで改めて見てみても、涙が出そうになってくる。

何がいけなかったのか?

急造4バックが機能しなかった?

中田と中村の共存は無理?

 

しかし中田ヒデ選手。

前に後ろによく動いてくれました。

相手のプレッシャーに負けてボールを奪われる場面が数回あったが、

それが調子の悪さを物語っているのか?

福西の一点目の時、福西に1番に抱きついたのは中田ヒデだった。

え?

って思わなかった?

もちろんヒデが1番近くにいたからなのだが、

それにしてもあんな顔で喜ぶ中田って・・・・。

あんな感じでガッツポーズを見せる選手だったっけ?

それだけ苦しかったのかな?

 

うーん・・・・。

 

しかし滑る選手多かったな・・・・。

条件は一緒なのにイランの選手はそんなに滑らない。

何が違うの?

単純にスパイクの問題だとは思えない。

 

高原のトラップはうまくなっているのだろうか?

ぴたりと足元に止めてほしい。

ロングボールはことごとく跳ね返され、

サイドからのセンタリングには精度がない。

セットプレーでもちぐはぐさが露呈し、

よく1点取れたなーと思った。

決勝点の場面。

ゴール前にいたのは、加治と中田ヒデの2人だけだった。

宮本はどこに?

センタリングに対応していたのが中澤だった。

やっぱ3バックに戻した方がいいんだろーなー・・・。

 

マハダビキア、カリミのドリブル力強かったな・・・。

三浦とシュンスケが2人で行っても止められない場面が2回ほどあったよね・・・。

日本の選手のドリブルは・・・・・、あった?

玉田はマハダビキアに止められていたし、

高原も突破できなかった。

ドリブルでグングン抜いていくような選手が日本っていないよね。

スルーパスだけじゃーなー・・・。

 

なんとか建てなおさないと・・・。

ジーコからラッキーが離れてしまえば、

何が残るのだろうか?

小野がバーレーン戦に出られないことはとても悲しい。

イラン戦でもDFと中盤の繋ぎ役としていい仕事をしていたのになー・・・。

小笠原との交代には納得がいかない。

怪我を考慮してのことだろうか?

 

30日はホンマに決戦だ。

勝たないとなんともならんが、勝てるのか?

不安だなー・・・・。

 

宮本のDFラインが下がっていくのを見るのは胃が痛む。

下げないでドリブルを止めてほしい。

がんばってくれ。

祈るしかできないので、祈るだけだ。

みんな祈ろうね。

 

2005/3/23

朝から曇っています。

しばらくいい天気が続いていたのにね。

しかしTシャツだけでもあまり寒く感じなくなったのは

すでに冬が終わったということかな。

明日からまたお客様と潜る日々。

天候が回復することを祈りたい。

一部の人に受けていた模様の潜水作業レポートも終わったし、

これからログをアップして・・、まだまだやることが多いのだ。

この下、読んでいくと、レポートは出てくるので、

そのまま読んでいってね。

ではでは。

 

2005/3/21

晴れているねー。

この連休はとてもいい天気に恵まれ、

潜りに来ていただいたお客様も喜んでいただけました。

やっぱりエキジット後の寒さが全然違いますからね。

海中はウミウシが増えてきて、潜っていてとても楽しいです。

 

では小笠原漂流記の続きはこちらから。

 

2005/3/19

た、只今、無事に帰還し、すでに本日から潜水業務に

復帰いたしました。世古でございます。

トップページには4/12から留守にすると書いてしまったが、

実は今月の12日から留守にしていました。私のミスです。

で、当初はたった5日間の予定の潜水作業業務でした。

とある知り合いの那覇のDSからの電話で話は始まる。

「作業の仕事やらない? 漂流物の回収作業なんだけれど・・・・」と

語られ始めたその仕事依頼とは・・・・・。

ふむふむ。

ふむふむふむふむ。

ようするに、何かが沖縄南方海上に漂流している。

それをボートで回収に向かう。

漂流地点まではタグボートという奴で約2日間。回収に1日。

帰路に2日間の合計5日間の日程予定。

ふむふむふむ。

水面に浮いている奴を回収するだけなので、

場合によっては、ダイバー(つまり私たちのことであーる)が入水しなくても

ボートから回収できることも多く(ほとんどそーいう感じらしい)、

実際海に入らないかもしれないよ。

という内容。

ふむふむふむふむふむふむ。

 

・・・・・・。

 

まぁー暇でもあるし、お金も稼げるし、

初めての仕事だけれど、試しに参加してみましょう・・・と

OKの電話を入れ、すぐに用意。

なんだかんだで5日間だけだから、

着替えも少しでいいいだろー。

最低限の荷物だけでいいんじゃない? と気軽に考え荷造りし、

翌朝、港に向かう。那覇の港に8時半集合。

予想以上に大きい船にちょっと安心。

朝の天候はかなりの荒れ模様。

北風がビュービューと吹いていた。

沖に出ていた船舶は港内に避難しているアリサマだ。

その中で慌しく出港の準備をしているのは

今まさに私が乗り込もうとしているこの一隻のみ。

うーん・・・・。

大丈夫かいな?

船にバタバタと荷物を積み込む。

現場を仕切っておられる方(以後、リーダーとする)に挨拶。

日程を説明される。

「行くのに3日、回収に1日、帰ってくるのに3日で

合計7日間かかります」

うーん・・・・・・。

早速の予定変更。

なんてこったい。

帰港予定日にお客様が来るので、

その日には絶対に帰ってこないといけない。

(それがまぁー今日、つまり19日なのです)

 

そこだけは絶対にお願いしますね、と頼み込んで乗船。

聞けば、「この船も次の仕事の予定があるから19日には

必ず帰ってきたいんですよ」とのコメントもあり、ふむふむ。

船の予定もあるんなら、大丈夫だろうと独り納得。

 

ロープが解かれ、船が離岸していく。

風は弱まるどころか強い。ただ強い。

船員さんに挨拶。

よろしくお願いします!!

「シケとるねー、他の船はみんな港に入っちょるよー」

「揺れるとねー、あんた船酔いは大丈夫とね?」

 

・・・・・・・・。

 

船酔いなんぞ、今までなったことのない私だが、いささかの不安がなかったわけではない。

なぜなら、同乗した那覇のショップのHさんは、私と出会う前にすでに

酔い止め薬を服用していたからである。

このHさんが船酔い常習犯かといえばそうではなく、

いつもは船酔い知らずの方であるが、そんな人でさえも用心として

酔い止め薬を飲んでいたのだ。

「外洋のうねりだから飲んどいた方がいいよ・・・」

私も薦められるままに一服。

 

酔い知らずのHさんをも怖がらせる外洋の揺れとは?

 

私の未体験ゾーンである。

本当の外洋というのにはまだ出たことがないのだ。

良い勉強になるであろう。

 

予想通りに船は大揺れ。

寝床やトイレ、風呂場などを案内され、最後にブリッジ、

つまり操縦室に通される。

船の中で最も高い場所に位置しており、

当たり前だが見晴らしが良い。

全面ガラス張りで、視界良好そのものであーる。

そして当然のことながら、1番揺れる場所でもある。

 

港を出ると船は大きく揺らぐ。

船長の「船酔いは大丈夫?」という問いかけにも

すぐさま「はい」と返事できるほどこの時はフレッシュだった私。

うーん・・・・・。

今から思い返しても、あの時は本当にイキが良かった。

ピチピチって感じ。

リーダーに目的地海域を問うと・・・・、

えーと、・・・・小笠原よりも少し手前ぐらいかな。

とのお言葉。

お、おがさわら?

ここは東京港ではなく、沖縄の那覇港なのだが、

ここから小笠原を目指すんですかい?

船の速度は普段のダイビング船よりもかなり遅い。

平均すると10ノットぐらいか。

予定では2.5から3日かかります。

 

・・・・・・・・。

 

せいぜい行っても南大東島ぐらいかなー・・・・

と思っていたのでびっくり仰天。

青天の霹靂とはまさにこのこと。

タナから落ちてきたのはボタモチどころじゃなくて、

小笠原近海という予想をはるかに越えた大ドンデンガエシだった。

 

さぁーさぁー。

続きはまた書いていこうね。

とりあえず今日はここまで、だってお客さんいるからね。

じゃ。

 

では続きなのだ。

昼食はカレー。

レトルト食品ばかり出てくるのかと思っていたが、

手作りのカレーが出てきてちょっとびっくり。

まかない担当の船員さんが乗り込んでいるのだ。

食事事情は心配なさそう。

 

カレーは好きだし、実際美味かった。

昼食後、まだまだ元気。

ブリッジに行くパワーがあったからね。

船は沖縄本島の南沿岸を回り込み、太平洋に出ると

進路を北東に向けた。

一路、小笠原近海を目指している。

小笠原というのは冗談ではないらしい。

やれやれ・・・。

当日の風向は北風。

大きな風波とうねりがモロに船の横っ面を叩く。

普通ダイビング船などは波に船首を向けて、できるだけ揺れないように走るのだが、

この船はダイビング船ではないし、ファーストプライオリティーは揺れないことではなく、

早く目的地に到着することなので、

波が横から来ようが、ケツからあおられようが、船が転覆するような波でなければ、

問題外。

ただ目的地に向けて一直線。

揺れる・・・・と言ってしまえばたやすいが、

船内で普通に歩くことはまず困難。

一歩踏み出しては、壁に体を預けて倒れないように支え、

別の一歩を踏み出しては反対側の壁にもたれる。

船員のおじさんたちも、久しぶりに揺れるとねー・・・・

と渋い表情。

この船は長崎の船なので、船員さんたちもすべて長崎出身者。

語りかけられる時の言葉は長崎弁。

「メシばー、食わんとねー」とか、

「もう船に慣れたじゃろぉー」とか。

沖縄の言葉よりも全然聞き取れる。

 

し、しかし・・・・、

うーん・・・・・。

き、気持ち・・・・わるい。

・・・・・・。

ブリッジにいることができなくなってきた。

胃の奥の血管全部に血液ではなく、

使い古されたオイルが流れ込んでしまったかのような

気持ち悪さ。

そのオイルから湧き上がる黒煙が

胸に込み上げてくるような不快感はどこにも出せないし、出て行かない。

ただ体内にとどまり充満していくだけである。

 

うえっぷ・・・。

 

「食堂が1番楽に出来るかな・・・・」

という船員の言葉に頷き、ブリッジ下に位置する食堂へ。

しかし作業船ということもあり、

船内のいたるところからオイルのようなサビ止め剤のような臭いが立ちこめている。

この食堂といえども例外ではなかった。

食堂内もブリッジ同様に揺れる。

食堂の窓からは海面がちょうど目の高さに見える。

うねりがおさまるような気配は微塵もない。

旅は始まったばかり・・・・・。

うー・・・ぅぅぅぅぅぅぅ。

 

うーん・・・・。

 

食堂にもいられず、さらにその下階に位置する船室まで下る。

船室に下りるためには階段を下りるのだが、

この階段がとても急な角度で備え付けられており

健康な私のようなものにとってもかなり危険だ。

「ビフォアー・アフター」の番組だったら

すぐにでもリフォームされてしまうようなシロモノなのだ。

船室は船底に位置し、当然窓はないが、1番揺れが少ないとされている。

そのベッドに転がり込む。

寝るしかない・・・・。

こ、これが船酔い?

初体験だ。

いつも船酔いになっているお客さんを心配している立場だったので、

大変そうだなー・・・・とは思っていたのだが、

ここまで苦しいもんだとは思わなかった。

しかしお客さんは1本のダイビングが終われば、陸に上れるが、

私はあと何日?

今乗ったばっかりじゃん・・・・。

 

あと一週間もこんなに揺れている船で・・・・。

 

うーん・・・・。

 

夕食は午後4時から4時半ぐらいにかけて。

そう早い。

船乗りのタイムスケジュールは実に素早い。

ちなみに朝食は5時半から用意されているし、

昼食が11時ぐらい。

夕食食べてからの時間がとんでもなく長い。

この日の夕食は刺身と・・・・なんだったっけ・・・。

忘れた。

とにかく・・・、情けないことに食べられなかった。

刺身を数切れ程度で終了。

食べたら吐いてしまいそうだった。

吐く・・・って。

いちおーダイビングの仕事してて、

船にも慣れていると自負していた私が

吐くって・・・・。

そこのラインだけは超えたくないなー・・・。

吐いてしまうと、今後トラウマになってしまい、

普通のダイビング船に乗ってもなんか気持ち悪くなりそうで、

吐くのだけはとどめたい!!

という心理が働いていたのかなー・・・、今から思うと。

 

もう1つ、私を悩ませたのが水、飲料水である。

ちょっと・・・いや、けっこうサビ臭かったんだよね。

私はモルディブなどの水事情が良くない国で長い間暮らしてきたが、

水道水は飲まずにミネラルウォーターを飲んでいたので、

極めて良い状態の水しか飲んでこなかったので、

こーいうサビ臭さのある水にはけっこう弱いことがここで判明。

うーん・・・、自分自身の知らないことがどんどん出てくる・・・。

齢34歳に自己発見の連続に未体験ゾーンの素晴らしさを知る。

人生とは冒険だ。

 

とにかく飲めない。

飲むとまた吐いてしまいそうになる。

ビールがもらえたので、ビールをプシュッと。

水よりもビールの方がマシだ。

水よりもビールの方が安いサイパン的思考であるが、背に腹は変えられない。

 

料理をしてくれるまかないスタッフの方がとても良い人で、

作ってくれたものを残すのは気が引けたのだが、

どうしても食べられない。

うううううううぅぅぅぅぅぅぅ。

 

ブリッジに上るパワーもなく、

シャワーを浴びる元気もなく、

着替える底力も消え、

そのままベッドで横になる。

そして船酔いにまかされるまま寝てしまった。

なんと就寝は19時ごろ・・・・。

今時、小学生でも、いや、幼稚園児でもこんな時間には寝ないだろうという時間。

寝るしかないという状況と前日、前前日までの疲れなども睡眠を助け、

朝までそのまま寝てしまいました。

まぁー今から思うと、疲れて寝れてよかったのだ。

 

2日目。

え? 

まだ2日目?

こんなに書いているのに?

自分でびっくり。

適当にはしょらないと最後までやっていられないな・・・・。

 

起床は8時ぐらいだったと思う。

船酔いは消えてはおらず、まだまだ気持ち悪さだけが元気に体を占領し、

けだるさはマックス。しかし睡眠時間は十二分なので、実に奇妙な感覚でした。

朝食は白飯、納豆、味噌汁。

白米は食べられそうになかったので、水だけでも・・・、あ、

水は臭かったんだ・・・・。

朝からビールってわけにもいかないし・・・・、

おっ、そーか味噌汁がある。

と、勇んで飲むも・・・・。

ふーむ。なるほど。

あの水を使って作っているんだもんね、なるほど。

 

サビ臭い・・・・。

 

でも、味噌で味が・・・、なんとかごまかせてるか・・・・なー・・・。

とにかくなんか食べないと・・・・。

昨晩の夕食もロクに食べていないからなー。

 

味噌汁だけを飲み、ブリッジへ。

航路と現在位置、波の様子だけを確認し、すぐ階下へ。

酔いがひどくなるからね。

キャビンのレーダーからはすでに陸地が消えており、

船は太平洋をさらに北東にんでいる。

窓から見える風景はどの方角を見ても海、海、海、海。

うねりに揺れる海ばかり。

目的地まではまだまだだ。

予定では明日の夕方に到着とのこと。まだ2日間も移動のみ。

長いなー・・・。

 

歯を磨く。

磨き終わって水道水を口に含んだ時、

うん。

そのときだったねー。

忘れていたよ、用心するのを。

飲料水よりも一段ときついサビ臭さが口いっぱいに広がってしまい。

少しだけ戻してしまった。

あ、あかん・・・。

と思い、そのままトイレへ。

 

うーん・・・・。

 

吐いてしまった。

 

ついに越えたくなかった一線を越えてしまった。

 

船酔い吐き男になってしまった。

オレってもう15年くらいイントラやっているのになー・・・。

 

・・・・・・・・・。

 

その後の詳細はあまり覚えていない。

2日目はほとんど寝ていた。

とにかく寝ていた。

こんなに寝られるって、すごい!! と自分でもびっくりするぐらい寝られる。

船酔いだけど寝られるっていうのは、まだ楽だよね。

酔ってて寝られない方が辛いからね。

とにかく寝るか、食堂でなにか食べるか(食べられたらね)しかしなかった。

そのまま三日目。

少し波が落ち着いてきた。

船酔いもマシになって、食事も取れるようになってきた。

船が波をかぶることもなくなってきたので、

船外に出られた。

ちょっと寒いが、船室にいるよりも全然気持ちいい。

便所草履からスニーカーに履き替え、狭いスペースで柔軟したり、

その場ランニングしたりして、少し体を動かすだけでかなり気分的に楽になれるものなのだ。

 

さてさて、

捜索すべき対象物に関しては細かく書けないのだが、

大きさは3×4メートルほどの白色の物体。

実に小さい。

太平洋のど真ん中でそんなちっぽけなモノを見つけられるのか?

うーん・・・・・。

無理だろうなーという雰囲気は船員の誰もが感じていたのだろうが、

まぁー探すしかない。

 

我々が現場海域に到着したのは、3/14日の深夜だった。

その漂流物が見つかったと通報があったのはほぼ一週間前。

この海域を航行していた船舶が発見し、通報。

リーダーの仲間が、その時の発見場所を基に、

ここ一週間の潮の流れ、風向き、波などを考慮し

予測漂流コースをはじき出し、それに従って我々は現場海域を特定し、

ここに辿り着いたのでした。

捜索は明日の朝からスタート。

名古屋から飛行機を飛ばし、上空から広い範囲を捜索。

午前1回のフライトで約二時間の捜索後、飛行機は給油のため

八丈島にもどる。

午後になってもう一度捜索。

という段取り。

見つかっても見つからなくてもその後は帰路につく予定だった・・・・。

 

捜索当日。

海は信じられないくらい凪いだ。

ペタペタ。

どうぞ捜索してくださいと言わんばかりのコンディション。

これで見つからなかったら、しょうがないねーという感じ。

飛行機が到着するまで、我々もゆっくり船を走らせ、

見える範囲を捜索。

太平洋ど真ん中。

大海原という奴である。

360度ほんまに海だけ。

他船の姿すらない。

 

海図によると、船の下、海底までの距離は約4000M。

ふ、深い。

海は当たり前だが、ブルーだ。

天候も良いので、入水できたら・・・・・と考えるとちょっと怖くなる。

なぜ怖くなるのかというと、

私だけかもしれないが、

私は底の見えないクリアブルーの海に浮いていると、

体が海に溶けてしまうような奇妙な感覚になってしまい、

とても身震いしてしまうのだ。

 

底の見えない海域の水面、信じられない透明度、

クリアすぎるブルー、水面からの陽光。

しびれる要素が揃いすぎている。

体が震えてしまうほどの気持ちよさと怖さが入水するだけで味わえる海であろう。

 

しかし漂流物の下というのは、小魚たちが隠れていることも多く、

それらを狙って中型魚が、それらを追ってサメが集まっているのでは?

という想像もまんざら的外れではないだろう。

回収物発見、入水、眼下にサメの大群。

という場面も可能性としてはあるわけで、入りたいし、入らなくてもいいのなら

入らなくてもいいし・・・と複雑な気持ちで船上からの捜索は続く。

 

海面にはいろんな・・・漂流物が・・・・・ない。

びっくりするぐらいない。

なにもない。

ただ海があるだけだ。

魚もいない。

もっとイルカやクジラなんかがたくさん見られるかなーと思っていたが、

イルカに遭遇できたのは1度だけ。

クジラは見ていない。

水面に飛び跳ねる魚もびっくりするくらいいない。

船上から水中を凝視すると、

様々なクラゲが浮遊していく様子が見える程度。

 

しかし水深4000M。

岩もなにもないただの海水がある海だけなんだから、

魚が少ないのも当たり前か・・・というかこれが現実なのか?

しかし船員さんがトローリングしていたのだが、

何もいないように見えるこの海でも釣れるんだよね。

80センチクラスのシイラを筆頭にカツオも釣れたし。

やっぱりそーいう回遊魚はいるんだ。

と、いうことは餌になる小魚もいるということだよね。

どんな風になっているのだろうか?

この水中は?

 

飛行機到着。

捜索予定海域を上空からくまなく捜索。船から飛行機が見えなくなってしまうぐらい離れた場所でも

捜索している。文字通り船を真ん中に西へ東への大捜索。

午前中は見つからず、休憩になる。

午後からも捜索。

ふむ。

海上には潮目というのがある。

潮がぶつかる場所で水面にもその流れがわかる場所だ。

その部分に差し掛かると、漂流物が増えてくるというのがわかってきた。

(もちろん船員さんたちには当たり前のことだろうけれどね)

発泡スチロールの箱やサンダル、ロープの切れ端などいろんなものが漂流しているが、

目当てのものは見つからない。

午後になっても飛行機は遠くの方まで探している。

そろそろ夕方。

「野球場で観覧席からアリを探しているようなもんだ」

「見つかりっこない」

とか船員さんも諦めモード。

そろそろ捜索終了時間だから、沖縄に進路を取りはじめる。

無線で捜索終了の旨が伝えられる。

飛行機は名古屋まで帰らずに八丈島に戻って行った。

うーん・・・、まずここがおかしかった。

名古屋に帰ればよかったのに・・・・・。

 

次に本部からの連絡で、

「明日も引き続き捜索続行を」との電話が・・・・。

ええっー。

私たちも船員さんもすでに帰宅モードになっていたので、

なおさらにショック。

 

仕事の日に間に合わなくなってしまうじゃないか?

船だって次の仕事があるんでしょうに?

と思ったのだが、船のオーナーはあっさりOKを出されたとのことで、

延長するかどうかの判断は私たちダイバーにゆだねられ、

渋々追加1日捜索に納得(するしかないよねー)。

まったく約束がことごくと違っていくのだ・・・・。

私だけここから帰りますわー・・・というわけにもいかない場所なので、

どうしょうもない。

 

翌日、同様に午前と午後の捜索。

結局、回収物は見つからず、すでに沈んでしまったと断定されて捜索は終了。

私たちダイバーも入水できるきっかけもなく、

本当になにもせずに帰路につくことになってしまった。

今となってはけっこう残念。

太平洋ど真ん中の海中を見てみたかったなー・・・・・。

しかし無事に戻れてきた今だから言えることかもしれないけれどね。

 

帰路は穏やかでした。

船酔いも三日目ぐらいからは徐々になくなり、

捜索日などは快調でした。

 

最終日前から海が再び荒れ初めて、

船酔いがひどくなり、

最後の食事を食べられなかったのだが、

吐くまではいたらなかった。

 

夜空には三日月が輝き、月光だけでもかなりの明るさ。

星は瞬いていたが、うおっぁ!!

と言うほどの星量でもなかった。

今までで1番の星量は? 

というと、やはりモルディブ・・・ではなくて、

和歌山県串本町に向かう途中の

大台ケ原という山間部で車から降りて見上げた星空である。

周囲を山で遮られてはいたが、

その星量はすごかった。

やっぱり星を見るのならば、山間部なのだろうか?

灯り少ないし、空に近くなるしね。

 

と、いうわけでいろいろあって

19日の朝6時ごろに那覇新港に到着。

そのままお客様とのダイビングに参加し、揺れた感覚のまま2日間ほど過ごしたら、

元にもどりました。

今は全然普通。

 

振り返ってみると、やっぱり船員さんはすごいねー。

みんなしっかり食べるし、船酔いしないし、

私なんてまだまだケツアオです。

同乗した船員さんたちは皆とてもいい人でした。

孫もいるというおじさんが3名ほどいたのだが、

話していてとてもおもしろかったのだ。

 

海に入れなかったことはもったいなかったけれど、

もう一度この仕事の依頼がきたら

今度は断っちゃうだろーなー・・・。

 

まぁーそいう仕事でした。

 

2005/3/11

暖かかったなー・・・。

ここ数日の陽気は実にありがたかった。

おりしも講習の予約を頂いていた時期だったので、

講習のはかどり具合も予想以上で、お客様にも嬉しい気象状況だったことでしょう。

 

さて明日から私は潜水作業の仕事で沖縄本島を約5日間ほど留守にします。

真弓が留守番していますので、連絡はつながりますし、

メールも受け付けておりますから、

どしどしなんなりとメールしてくださいませ。

 

どんなことをしてくるのか?

ということは実は私もあんまりわからないので、

また帰ってきたら報告しますね。

ではでは。

 

2005/3/7

あ、温かい・・・・。

昨日とうって変わって気持ちのいい青空と、

心地良い陽射しに心までポカポカとヌクヌクしてしまう。

いいねー・・・。

しかし、こんな日にお客さんがいないというのは・・・・、これまたきついねー。

明日からは講習なので、しばらくこの天候が続いてくれればいいなー・・・・。

 

ところで4月に企画していたモルディブツアーは

集客が思うように伸びず、とどのつまり企画倒れになってしまった。残念。

やっぱり4月は年度始めの方が多く、

なかなかまとまった休暇が取れないみたいです。

前回4月に企画した時も、集まらなかったんだよねー・・・。

 

まぁーこれで、でも4月も沖縄でがんばって潜っているので、

ぜひウミウシ探しに来てもらいたい。

その頃はウミウシのトップシーズン。

お待ちいたしております。

 

2005/3/6

寒い。全国的に寒いのだろうが、

沖縄もまけずに寒い。

北風に海は荒れまくり。

予定していた体験ダイビングのお客様はキャンセルとなり、

せっかくの冬場の仕事が風に流され、

波につぶされ、とほほほほ・・・状態であるが、

ファンのお客様は「潜ります!」とのことで、

熱い志と共に2ダイブしてきました。

エキジット後、寒風に吹かれる手の感覚は瞬時になくなっていく。

感覚が消えそうな手の中に痛みのような感覚だけが現れ、

暖を取らなければ、凍え死にそうであーる。

おおおおおおぉぉぉぉぉ・・・・。

くわばら、くわばら。

 

しかし少し暖を取れば、すぐさま回復。

スコンスコンと短いインターバルで無事に2本潜れました。

昼食には久しぶりの沖縄そばを頬張り、

ふむふむ・・・・、

温まるねー。

 

こーいう楽しみはダイビングで体が冷えていれば冷えているほど、

心身の奥深くまで染みこんでいくので、

いつもの沖縄そばをより楽しむために

あえて寒い季節にダイビングで寒くなるというのもオツな考え方であろう。

「おっ、にーさん、江戸っ子だねー・・・」

と合いの手を入れてくれる人は、

きっと浪曲「清水じろちょー」の「森の石松」が大好きな人であろう。

 

子供の時によく聞いていたなー。

追分さんごろーとかも好きだった。

私の趣味ではなく、オヤジの車で流されていたので、

自然に聞いて憶えてしまったのだ。

 

江戸っ子というのは、暑い時に熱い茶を涼しい顔ですするそうであるが、

ホンマかね?

 

うん?

 

と、いうことは、寒い時に冷たい沖縄ぜんざいを涼しい顔で流し込むのが

沖縄版江戸っ子ということか・・・・。

(沖縄のぜんざいはカキ氷のことだからね)

 

そんなん無理。絶対無理。

今日、ぜんざい食べる?

無理無理、それは無理無理。

江戸っ子ってすごいなー。

 

しかし、寒い時期に冷たい水中を涼しい顔で楽しむことは

お茶の子さいさいなので、ぜひスピッツで潜って、

みんな江戸っ子になりましょうね・・・・とさ。

めでたし、めでたし。

 

2005/3/4

雪が降っているんだって?

寒いだろうねー。

大変だ。

沖縄でもかなりの寒さを覚悟していたのだが、

今日は良い天気。

風こそ北から吹いているので冷たいが、

風をよけで日なたにいればかなり暖かい。

明日からもこうなればいんだけれど。

 

辺野古のジュゴンを守りなさい、とアメリカの裁判で出ましたね。

嬉しいニュースだった。

このまま計画がつぶれてほしいです。

 

うーん・・・。

書くことないのに、書き始めちゃった。

ごめんなさいねー。

 

あ、4月のモルディブツアーで悩んでおられる方、

3/12で締め切りなので、とにかくメールちょーだいませ。

 

2005/3/2

毎年のことだが、2月はホンマに暇だ・・・・。

二月にツアーをやった方がいいなー・・・。

来年は二月に行ける所に行こう。

もうモルディブにこだわる時期はそろそろ終わりかな・・・。

なるべく日本人スタッフのいないエリアを探します。

英語ならまぁーなんとかなるし、

フランス語はわからんけれど、ダイビングのブリーフィングぐらいなら

なんとか・・・ならないか・・・。

もう全然憶えていないな・・・。

 

その昔ウァドゥーで働いていた時は、

ブリーフィングを日本語と英語だけならまだしも、

フランス語でやったこともある。

あの頃はベルギーからのお客さんが多くて、

ベルギーの人はだいたいフランス語なんです。

で、その人たちはあまり英語を話さない。

話せないのか、話さないのかわからなかったけれど、

ベルギーの田舎の方から来たダイビンググループの

団体さんだったんだけれど、英語なんて普段必要ないのかなー・・・。

とにかく英語が通じないのだから、

フランス語でやるしかしようがなくって、

なにからはじめるかと言うと、

まずは1番フレンドリーそうな人探しから始まる。

でちょっと英語がわかりそうならなおさらベターである。

 

ダイビング前の休憩時間などにその人を捕まえます。

タンクを指差して「これはフランス語で?」と

ダイビングに関することを1つずつ教えてもらいます。

簡単にポイントと潜り方を説明するぐらいなら、そんなにたくさんの単語はいらない。

ポイントのマップはボートに作成してあったので、

そのマップを見ながらエントリーポイント、最大深度、見れる魚、

潜水時間などを言えばOKです。

「今日、我々はバナナリーフに行きます。

ここはサンゴのリーフ、5M、ここでダイビング、流れがこうだったら、こう進んで、

流れがこっちからだったら、こう進む、ここでシャークがいる、タートルにツナ、イーグルレイ。

ここでフイニッシュ。ここが最大水深、25M・・・」とかそんな感じ。

英語でもディベヒ語でもそうだったが、

この時のフランス語でも1番便利な言葉というか、

言い回しは、「こう」、「こんな感じ」という言葉であります。

英語で言うと、like this。

ディベヒ語で言うと、ミ・ワッタル。

フランス語で言うと、パーイッスィ。

 

ボディーランゲージにこのフレーズがあれば、だいたい通じるんじゃないか?

と思えるほど万国共通の便利な言い回し。

ぜひモルデイブ行く人は、使ってもらいたい。

どーいうときに使うかというと・・・、

・・・・・・・。

 

・・・・・・。

とっさには浮ばないなー・・・。

例えば、あなたのデジカメの操作方法を尋ねられた時、

ボタンを押しながら、こうやって、ここをこうやって、こうする。

なんて時は、使いまくりだよね。

This button,ミ・ワッタルとか・・・・。

使いにくいか・・・・。

あれ?

でもホンマに便利な言葉だったんだけれどなー・・・。

観光的会話では重宝しないのかなー・・・。

そんなことないと思うけれど。

 

モルディブに働きに行く日本人スタッフで

モルディブの言葉を話せるようになる人は多い。

完璧なディベヒ語ではなくて、とりあえず会話ができるレベルでね。

みんな別にどこかに習いに行くということもなく、

現地のドーニクルーと話しているだけだが、

やはり憶えてしまう。

ドーニクルーには英語もあまり理解できなくて、

ほとんどディベヒ語だけしかわからないという人もいるが、

そーいう人から教わることもかなり多い。

教えてもらっている時も当然ディベヒ語である。

初めは何を言っているのか全然わからないけれど、

一緒に行動していると、共有する空間というか、時間が増えるよね。

ご飯時にメシ食いに行こうと誘われる。

「カレ、カーン、ダニー」

ご飯に行く時は、毎回同じような言葉を言ってくる。

ふむふむ。

ひとつ、ひとつはよくわからないけれど、

ご飯に誘う時の言葉がどうやらこーいうみたいだなー・・・、

と学習する。

そんで、今度はこっちがそいつに

「カレ、カーン、ダニー」と言って、誘ってみる。

おっ、通じた。

どーいう言葉が続いているのだろうか?

でいろいろまた教えてもらう。

そうするとその言葉を聞いたときよりもはるかに

その言葉の意味に近づいているので、

ディベヒ語だけで教わっても、ちょっとは理解できる。

そーいうのの繰り返し。

ソー言う時に英語の話せるモルディビアンがいたら、ホンマに助かる。

いろいろわからないこと聞けるからね。

 

しかしウァドゥーで一緒に働いた日本人はみんな

教科書もなかったのに、ディベヒ語うまくなったよなー・・・。

早い奴は3ヶ月ぐらいでけっこう理解できるレベルになっていたし。

しかし学生の時にずっと勉強していた英語は苦手な奴が多かったなー。

なんでだろうね。

やっぱし頻繁に使うっていうのが1番大事なのでしようか?

 

ここ数年、英語のタウンページ西日本版に

沖縄のダイビングショップで名前を載せていたのは

何を隠そうスピッツだけなのであーる。

英語を忘れないように頻繁に使いたかったので、

載せたのだが、お客さんは全然来ない。

問い合わせが年に数軒あるぐらいだ。

英語を使いたいので、知り合いイングリシュスピーカーで

ダイビングしたい人がいたら紹介しといてね・・・。

 

2005/3/1

うーん・・・・。

HPの衣替えをしようといろいろ奮闘したのだが、

なかなか思うとおりにいかないもんだ。

使っているHP作成ソフトがもう古くなっているというのが

1番の理由かな・・・・。

使用しているPCも古い型なので、

二週間に一回ぐらいは大掃除みたいなのをやって、

パフォーマンスが下がらないように気をつけているし、

削除できるものはどんどん削除している。

 

とりあえずADSLにしてみようかな・・・・。

今のところ、まだISDNなのだが、

そんな重い映像とかは流していないし、

写真だけなのでまぁーなんとかなっているんだけれどね。

 

リンク集をチェックしたら、

移動になったのか、すでに閉鎖されたのか?

つながらなくなったHPが多いね。

みんな続いていないのかな・・・・。

確かに継続して更新していくのはかなりしんどい作業だ。

私だってマメに更新しているのは、

ダイブログぐらいである。

ひとりごとも、以前ほどネタはない。

サッカーの話ばっかりだ。

日々潜らない一般のお客さんたちが、

ネタ不足で自分のダイビングHPを閉鎖しようか・・・と悩む気持ちは

大変よくわかる。

 

その昔、モルディブから帰ったばかりの私は、

コンピューターなど触ったこともなくて、

ホームページも見たことのない奴でした。

たくさんの人がHPを作っているそうだが、

なぜみんなそのようなことをするのか?

そんなことして儲かるのか?

なんのメリットがあるのか?

誰が得してるんだろうか?

 

わからないことだらけでした。

 

で、いろいろ勉強して、びっくりしたことは、

みんな趣味でやっているんだ・・・・。

ということである。

プロバイダーと契約して、お金払って、自分のページを持って、

日々更新という面倒くさい作業に追われる。

それもすべて趣味のため。

サイトを運営している人はそれでお金儲けしているんだろうなーと思っていた

私にはびっくりでした。

みんなそんな面倒くさいことを嬉々としてやっているのだ。

ふーん・・・・。

いろんなページを見てみると、確かに家族の情報の載っているページや、

個人的な趣味のページがホンマに多い。

 

みんな、何を求めてHPを作るのだろうか?

出会い?

ストレスの発散場所?

自己満足?

はて・・・・?

 

私はなんだろうね。

まぁーショップしているから、アピールっていうのはあるよね。

HP見て遊びに来てくれる人はとても多いから。

ネットのある時代に開業してラッキーだったなーと思うし。

こんなちっぽけなシッョプの持っている情報なんて、

以前ならオープンにする場がなかったもんね・・・・。

以前なら、どこだろうか?

ダイビング雑誌?

でも広告費がかかるよね。

年に一回とかでも万円台の予算がいる。

で載せられる情報量は少ないし。

ネットのない時代に開業していたらつぶれていただろうな・・・。

沖縄にこんなにダイブショップが増えたのはネットが普及したからこそだよね。

それは間違いない。

誰でも開業できるし、

ネットにHP立ち上げて、価格落として、宣伝すれば

お客さんもパラパラ来るだろう・・・・。

 

しかしアピールだけだろうか?

モルディブで働いていた時に撮りだめていた写真を

公開する場ができたので、嬉しかったのは事実。

そしてたまにその写真に問い合わせがあったりすることもある。

「使わせてもらってもいいですかー?」

というような感じで。

 

うん・・・・。

 

言いたいこと言える・・・・。

これかな・・・・。

 

言いたいこと言うのって気持ちいいよね。

自分のHPで言いたいこと言うのって気持ちいい。

会社に属する場で何か言っても、

その発言は会社の影響をもっているし、

反対に自分の発言が会社に与える影響も考慮しないとダメですよね。

 

自分のサイトだったら、そんな心配ない。

ふむ。

みんな言いたいことがたまっているんだろか?

まぁーそうだろうね。

PCに向かって言っても、相手の顔色は見えないし・・・・。

そもそも特定の誰かに向かって書くわけではないからね。

子供の頃聞いた童話の「王様の耳はロバの耳」の木の穴みたいなものだね。

電化された人々の言い分が有象無象にPCの奥でうごめいているのだ。

 

ふーむ・・・・。

 

しかし、思わぬところで思わぬ形で、

けっこういろんなサイトが様々な人の役に立っていると思うので、

それぞれの人がそれぞれにサイトを作って電化社会に放置するのは

良いことなのではないだろうか?

放置しておくだけでは誰の迷惑にもならないだろうし。多分・・・。

 

とりとめなくなってきたので、もうストップ。

今日の沖縄本島、けっこういい天気。

暖かい。

だけれど明日からまた寒いみたい。

ふぅっー。

くわばら、くわばら・・・・。